ベトナム、少数民族の暮らしと狭すぎる情報。

世の中は、情報で溢れかえっています。正しい情報も間違った情報もデマな情報も。 その中で、変えられるのは情報を受け取る側の判断だけです。  

はじめに。


ベトナムには多くの少数民族がいます。 今回、お話ししたいのは、カトゥ族を主にベトナム少数民族に関することです。 世の中に溢れているベトナム少数民族の情報に関して、真実と疑問に感じることについてお話しします。 はじめに、 私は少数民族の現状や生活環境を全て知りません。何が正しい情報なのかも経験してみないとわかりません。 ということを伝えておきます。 今回は、カトゥ族と呼ばれる少数民族の村に10日間ほど滞在して肌身で感じたことを元に、 ベトナム少数民族に対する現代社会、そして日本の狭い情報に対して疑問に感じたことを書いていきます。 ベトナム旧正月・テトの期間が1月25日から始まりましたが、その前後休みを利用して、 ベトナムクアンナム省国境近くカムダック・フックソンという場所に滞在してきました。 フックソンには、カトゥ族の村があります。 ベトナム国内でも特に貧しいとされる地域で、最貧困の村と呼ばれたりすることもあるそうです。 ベトナムの人口はほとんどがキン族で構成されていますが、多くの少数民族が生活している国です。 カトゥ族もその少数民族の1つです。 「カトゥ族」と検索してもらえるとすぐにカトゥ族の情報が出てきます。   そこでまず、1つ目の疑問が発生しました!

メディアで見るカトゥ族の扱われ方


カトゥ族についての情報を探そうとしても、どれも伝統織物や観光ツアー、NPOの活動報告というものばかりです。 それでも、それらのほとんどの情報には、”貧困”というワードが入っています。 なぜ、貧困というイメージを最初に訴えて、織物の情報・販売、観光ツアーといったものが最終的に情報の中心になっているのか。すごく疑問に思いました。 これは、別に情報が間違っているとかそんなことではありません。 メディアを通して、勝手に貧困というイメージを作られ、貧困というイメージのままビジネスをしているように感じるからです。少数民族だからとか、貧困地域だからとか、そういった理由づけは全くいらないものです。 それがビジネスでないにしても、国際貢献活動とかであったとしてもそれは全く必要ないです。 例えば、伝統的なモノを商品として収入に繋げる際、他者が客観的に彼らの生活感や文化を勝手に判断したものでなく、 彼らの生産に対する思いやモノづくりの情熱などを付加価値として持たせてあげる方がすごく持続性があり、商品としての魅力があるのではないかと感じます。 様々な情報を見て、このあたりに関しては、すごく違和感を覚えるところです。   2つ目の疑問です。

ネット情報と現実のギャップ


これは、カトゥ族だけでなく多くの少数民族でも同じではないかなと。 私は、フックソンという地域で現地の家族にお世話になり、10日間ほど過ごさせていただきました。 ホーチミン街道をダナンからクアンナム省ラオス国境沿いに向かい進んでいきます。 すると一時間半ほどで、観光ツアーで有名ないわゆるカトゥ族の村と言われる、ナムザン郡と呼ばれる地域が見えてきます。もちろん、本物のカトゥ族の村で、多くのカトゥ族が暮らしています。 今回は、そこではなく、さらに一時間半ほど山奥に進んでいき、山に囲まれたカムダックのフックソンという小さな村で過ごしてきました。 ものすごく小さな村で、その地域の中心地はほとんどキン族が住んでいて、ホテルやカフェなども数軒見られます。 その周りから、カトゥ族の村が広がっていました。とても裕福な暮らしとは言えませんし、中心地に比べると建物や服装なども比較的貧しい印象です。家が無く、食べるものがない人もいるそうです。 キン族の地元民がボランティアで食料をあげたり、市内政府がある一定の時期だけお米を与えたりしているそうです。 こんな山奥にあのカトゥ族が本当にいたのは正直驚きでしたし、現実の生活の厳しさに直面しました。 私自身、ネットからカトゥ族は”ナムザン郡に住んでいる貧しい少数民族 そんなイメージを勝手に持っていたからです。 そして、そんな”カトゥ族の暮らしは改善しつつある”と感じていたからです。 さらにお話をお伺いして、驚いたのは、 カトゥ族というのは、「ベトナム中部の様々な場所に住んでいる。カムダックやナムザンだけではない」と仰っていました。 もちろんここカムダックだけでなく、その他の地域でも比較的貧しい生活しているとのことです。 ネットの情報がどれだけ狭い情報かがわかりましたし、 その狭すぎる情報の中で、勝手に正しい情報と判断してたのがすごく肌身で感じました。  

まとめ


現在、少数民族に対する支援も増え、国際協力と言うワードもよく聞きます。 もちろん国際支援や協力はすごく大事なことですが、その中で聞き手や読み手がどう感じるかを考えて発信することの大切さも考えなければなと感じる出来事でした。 そして、少数民族の生活には、様々な現実と背景がありました。 文化や暮らし、生活感を直に感じて今後も伝えていきます。